私の日本史⑥

日本男児に触れてみたいと思います。モデルは親父です。親父は大正11年生まれ、結果、兵隊の為に生まれてきたようなものです。同年代の男性はそうでしょう。親父は長男なので次男の叔父さんが先に徴兵されました。満州で戦死しました。終戦から10年に国で葬儀をしてもらいました。勲章と軍刀と天皇皇后両陛下の写真と靖国神社のお札、それと遺骨です。遺骨は真綿の中の髪の毛です。親父に戻ります。いよいよ本土決戦となり徴兵、呉にいたそうです。広島の原爆投下の少し前に横須賀に移り難を逃れました。親父とは、あまり話した記憶がありません。雪国なので冬は出稼ぎに行ってました。帰ってくるときのお土産が楽しみだった。笑われるかもしれないが、バナナ貴重だった。田んぼの仕事の合間は土方仕事で一家を支えてくれた。酒癖はよくなかったが、恨みには思わなかった。今でも忘れられない思い出がある。ひとつは、親戚の葬儀の帰りに、おんぶしてもらったこと。あとひとつは就職の為、上京する際、無言で盛岡まで送ってくれた。何一つ親孝行の記憶はない。亡くなったのはガンですか、帰郷の時、親父が好きだった小説本買ったのが、最後の孝行でした。思い出話のようになりましたが、日本人の男児像を親父に学んだような気がします。皆さんの父親も、きっと立派な日本男児だと確信する。

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